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Amartya tis Theos

いつか果てのある場所で

 今頃、何をしている頃なんだろうかとゼウスは思う。
 月と星。それは空を濡らす雨でもあり、空を橋掛ける光。
 ミラが攫われてからというものの、ゼウスは気が気でなかった。他の神達も、ゼウスを心配なんかしたりして。
 この世界を繋げている空の下、ミラもいることだけが今のゼウスにとっては救いであった。

 見上げれば、赤と紫が寄り添うかのように照らしている。

 今はエイレテュイアとも、ユグドラシルとも言えない世界。
 その世界の名はユフィリオン。いつしか人々はこう呼んだのだ。
 アマルティアが始まってからはこの世界もずいぶんと変わってしまった。

 人の心も、世界の光景も荒くれてはふたつの月はそれを嘲笑うかのようだ。
 いつの世界も、月と星だけが美しく煌いている。

 ゼウスは胸に誓う。必ず、ミラを助け出してみせると。
 その目は、闇に浮かぶ月と同じ色を浮かべていた。
 そうして時は回り、月が墜ち、朝は来るのだ。

 白と黒の太陽が浮かぶ頃。あんなに瞬いていた星は見えないでいる。
 そして人々は今日も忍び寄る戦火に恐怖を覚えるのだ。
 ギリシャの世界エイレテュイアと、北欧の世界ユグドラシルの狭間にてゼウスは待つ。
 ゼウスの視界に映すは、オーディンの黒い髪。そしてオーディンの持つ槍。ミラの姿は見えない。

「残念だったな。お望みのあの小娘は返してはやれないな」

 不敵な笑み。オーディンが初めて笑みを見せた刹那でもある。
 同時に、オーディンは凍てつくような冷気を放つ。つんとした痛みが肌に感じる。
 冷えていく身体、指先を動かしてゼウスは抗うのだ。

「……そうか。ならば力尽くで返してもらうだけだ!!」
「やってみせろ。お前のその、虫唾が走るような正義感でな!」

 バチリと弾ける閃光と灼熱。それは冷気を溶かすかのように。
 ゼウスは、駆ける。少女のために、仲間のために、世界のために。
 ゼウスの槍が、オーディンの頬を掠める。そうすると赤い血が流れ、オーディンに傷を作らせるのだ。
 くく、と笑っては血を拭いもしないでゼウスの雷を沈静なる水でかき消してしまう。

 この時、オーディンが感じた感情は“面白い”だった。
 オーディンも魔術に長けていたし戦闘も自信があった。ゼウスはそんなオーディンに傷を作らせるほどの実力ではある、ということなのだ。
 流れる血は滴り落ちる。このオーディンを見た者は恐怖すら覚えることであろう。
 オーディンは、槍を持ち直す。次にゼウスに槍を向け、槍を向かって放ったのだ。

 こんなもの、すぐに武器で凌げる──。
 そう思ったのもつかの間。オーディンが放った槍がゼウスの腹部を貫く。
 あかい、血。鮮血が溢れて、溢れる。そしてその地はゼウスの服を汚すのだ。

「ガ、は……ッ」
「ふん、俺の槍はどんなものでも逃がさないものなのでな。俺が相手だったのが運の尽きだな」
「……いいや、まだだ。まだ、僕は倒れるわけにはいかないんだ……ッ!」

 赤で染まったゼウスは息を荒くさせてもなおオーディンに立ち向かおうとする。
 それが、やけにオーディンの胸の内を苛立たせたものなのだ。
 どうして、他者のために、それによりによって人間なんかのためにそこまでする?
 その疑問は、オーディンの胸に仕舞われ、ゼウスが聞ける事は無かった。

 腹立たしい、あまりにも腹立たしい、やはりこいつは嫌いだ。オーディンは強く思ったころだろう。
 もう殺しても構わないか。槍を握り、ゼウスに槍が触れようとしたその刹那。

「……ゼウスッ!!」
「ポセイドンお義兄様!?」

 荒れ狂う水を纏い、その槍からゼウスを護る。
 ポセイドン。オーディンもユフィリオンになって随分と調べてきた。確か海の神だったかと思考を巡らせる。
 だが、例え海神であろうと、もう容赦しないと、決めたのだ。
 水が、オーディンの足元を支配する。

「ほう。たかが海神と呼ばれてきた神、というわけでもなさそうだな」
「へっ、これでも強いと言われてきたものでね!」

 刹那、ポセイドンの槍が、オーディンの槍を弾き、宙にあげた。
 からん、となんとも情けないような音が、聞こえた。
 オーディンは焦りも見せず、動じない。
 ポセイドンは息を吐き、オーディンに告げる。

「なぁ。こんなこと言うのもアレだけどさ。人質だなんてオレは好きじゃないの、わかる? それに、もうアンタの負けだ。大人しくミラを解放しな」
「……は、たったこれくらいでいい気になるな」
「……もう一度言う。ミラを解放しろ。さもねぇとポセイドン様、ついうっかり殺しちまうことになるぜ?」

 この空気、苦手だなぁとゼウスは呑気にそんなことを考えていたのだろう。
 殺伐の空気が繰り広げられ、そして──。
 オーディンは、ミラを解放すると、頷いたのだ。


「ゼウス様、大丈夫ですか!?」
「ミラ! 僕は無事さ。それよりもミラこそ大丈夫かい?」
「はい……私は無事です」

 ゼウスの顔を見たミラの表情は不安から安堵へと変わっていった。
 無事なミラを見てゼウスも安堵をしたものだ、怪我をしていなくてよかった、と。
 ゼウスはミラから色々な話を聞いたものだ。人質、とは言っていたはものの、ミラの話は存外楽しそうで。
 そこで、ミラは言うのだ。この戦争はあってはならない、と。

 それにはゼウスも同意であったが、オーディンは如何ほどにか。
 何故、オーディンは戦争を仕掛けたのか。ミラもゼウスもまだ知らないままであった。


 世界樹ユグドラシルを、見上げている。マナが満ち足りずにいる。
 見上げながらオーディンはくつくつと笑う。

「……ああ、そうか。最初からこうすればよかったんだ」

 その真相は、誰も知り得ることはない。だが確かに、オーディンは選択したのだ。
 それが、間違っているとは誰も教えられずに、選択の時は迫っていくばかり。
 終焉の黄昏は、迫っていくのだ。

Astellas

© Astellas